あらかじめ決められた子供たちへ

小学生の頃の時間って、ものすごいスピードで成長してるから一分一秒でも無駄にして欲しくないという気持ちと、自分が小学生だった頃に無駄にした一分一秒が無駄だったかと考えたら、決してそうではなかったなと思う気持ち、どれくらいのバランスで子供たちに過ごしてほしいか考えてる。世界は広いことを教えたい。世界は狭いということも。見聞を広めて欲しい。いろんなジャンルの本を読んだり、アウトドアで自然に触れたり、オタク趣味の時間とか、散歩して近所の猫を追いかけたり突然犬に吠えられたり、そんな時間。一方で、ヒマで、友達と遊ぶのもめんどくさくて、なんかゴロゴロして、ダイニングテーブルの上で寝転がったり、廊下で死んだフリして気付いたら寝てたとか、そんな有意義さをまったく排除した時間。

親が与えられるものは与えて、時間を管理して、持っている可能性は出来る限り伸ばしたい、整然と生活する、それがいいに越したことはないと思うけど、そういうのは大人になっても出来る。子供がヒマをヒマと自覚してヒマをどう使うか考えながらも何をしたらいいかわからないまま、親の居ぬ間にアイスほおばってダイニングテーブルで寝転がったり洗濯機に入ったりして一日が終わる時間、子供自身がそこにまったく意味を見出していない、無自覚に無意味な時間。それは大人になってからは作れない。時間を大人買いてふんぞってやることはできても、それは責任のない守られた小さくて無力な生き物が為す術なく、または為す術を考えながら過ごす時間とは意味が違う。しかし前者には教養が身につき、後者にはただ、そんな子供らしい時間を過ごしたというノスタルジーがある、というだけ。

それで、こういうのはきっと中途半端が一番よくない。なので親はその無意義な時間も含めて徹底的に管理してないとだめで、しかも有意義な時間のときはいいのだけど、その無意義な時間が作為的であることを子供に悟られると、子供にはそれが無意義にならないし、何よりゴロゴロではなく、ダラダラしても何も言われない、もしくは自分に無関心だと勘違いするかもしれないので、あくまでまったく知らない体を装って管理しないといけない。大変だー。

私は、自分が親として与える時間以外の子供の時間は感知してないフリが一番いいと思ってるけど、しかし感知してないフリしてると「ずっとドラクエ」してるので、自分の時間管理の中途半端さを責めています。「ずっとドラクエ」は嫌なんだよね!!(一時間にしてと言ったら夫が横から「一時間じゃなんもできんやろ」と言ってきた。あんた何目線だよ。)なんかゴロゴロしろよって思ってしまう!なんもやることないなー、って考えて、何も生み出さなくていいので、ヒマの使い方について考えて欲しい。私には小学生の時分の「ずっとドラクエ」の尊さがわからないのでそれが悪いものとは思わないようにしてるけど、でも気付いたらゲームで何時間もなんて大学生になってからでいいんだよ!小学生は小学生のうちにやるべきゴロゴロがあるんだよ。

と思ってしまう。

 

けれど気付いたらそれは、それは、それが私の知らないところで子供たちが主体的にやっているヒマの過ごし方だった。