満車のヨーカドーの駐車場で空を探していたら、なんとなくもう出そうな車を発見したので、ハザードランプを点けて近くで待った。その人は運転席の横に立ち、とても丁寧に上着を着ていた。片方に袖を通すかと思いきや埃だか糸くずかだかを発見したようで、しばらくそれと向き合っている。ようやく終わって、片方に袖を通し、中のシャツの袖を伸ばし、軽くならす。もう片方も同じ作業、その後にまた軽くならす。フードを立てて、中のシャツの襟を正す、また軽くならす。少しジャンプして軽くならす。

そして車に乗り込み運転席に座ったその人は水筒を取り出し、飲み物を飲んだ。二口目も飲んだ。それどころかホッと息をつける程度にゆっくりと飲んで実際ホッと息をついていた。そのあとおそらく消毒液やハンドクリームなどを手にめいっぱい擦り込んで、おもむろにシートベルトを締めて、出ていった。

わたしはその、自分より少し年が上くらいの女性に丁寧な暮らし、を感じた。きっと普段からあんなふうに丁寧に身だしなみやメンタルリズムを整えているのだろうな。

丁寧な暮らしの人。

しかしあやちゃんは知っています。車に乗り込む時にチラリとこちらを見たのを。それは今気づいた事を知らせるようなチラリであり、本当はずっと前からそこにわたしが待っている事に気付いていたけど、今気づいた体という偽のサインのような気もした。わたしがイライラしていたからそう感じたのかもしれない。

丁寧な佇まいを感じたのは本当。だから、丁寧でいじわるな人。丁寧ないじわるの人。んー、前者と後者では意味が違うな。ひどい言い方で老害の人。でも老害って言葉、どうもしっくりこない。年上の人の事を老いを理由に悪く言うのは嫌だ。その年を重ねた事のない人間が、経験した事のない年齢について言える事はほぼない。

車の中で少しだけ口汚い言葉を吐いてああはなりたくないと思わず呟いた。呟いたね。それは本心だからね。でも誰しもが皺を重ねていくように、心だって皺を重ねていく。その皺のあいだには知らない何かが知らない間に溜まっていくのだと思う。つるつるの若造にはわかるまい。

美しさとは何だろ。丁寧さとは。そこに美しさがあるのだろうか。

ああはなりたくないと思うのが正直な気持ち。しかしあの女の人の行動を一から十まですべて覚えている自分のなんと丁寧な洞察力な事か。しかも久しぶりに開いたブログでそれを丁寧な暮らしだと揶揄し書き記すとは、もはやそれを超える丁寧な暮らしではないか。素直にイライラしてればよかった。口汚く愚痴をこぼし、BTSのダイナマイトをバチバチの大音量でかけながら急かすようにハンドルを指で叩いて、その日の夜は濃いめのハイボールを飲んで寝ていれば、だいたいいい加減でがさつな、ただ丁寧な暮らしとは真逆にいるだけの人で終わってたじゃないか。シットな行動にシットと呟いて終わる、それでよかった。ああはなりたくないって言葉、本当に嫌だな。相手に伝わったわけではないけど思い返してみても、嫌な自分だった。完全なマウンティングワードだった。

本当はわたしだって丁寧で美しくいたい。でも自分は丁寧な行動で美しさを表現するより、丁寧な考え方と共に暮らしたい。物の考え方について丁寧でありたい。

 なのでこれからはクソ!と思った人間には、聞こえないようにそっと一言だけ、シット、と呟くようにする。美しくないとされる言葉と共に暮らすことなど何でも無い。

 

ハッピーハロウィン!!