アメリ症候群(ちっともおもしろくない名前)

アメリを最後まで観れたことがなくて、いつも途中で寝てしまう。退屈だからとかいう理由ではなく、なんというか、いわゆる縁がない。観たい意思はあるが、なんか縁がない。そういうの考えるとそういえば縁がなさそうな映画って自分の中にいくつかあって「観たいけどたぶんもう死ぬまで観なさそう」という基準で選ぶとまずアメリ。でも実はアメリはついこの前観た。6度目くらいにしてやっと。観てよかった、観れてよかった、心からそう思うけれど、しかし人生をこじ開けて無理矢理押し込んだ感じもあり、寿命が縮んだ気もする。あとは、これ観てないと映画わかってないおじさん(そんな人実際いるのだろうか)を気にせず正直に言うと、「時計じかけのオレンジ」以外のキューブリック、小津とかゴダールとか(このへんはコンプリートしてないと観たと言ってはいけない風潮がある)、なんだいっぱいあるじゃないか。未来世紀ブラジルとかロッキーホラーショーも人生を無理矢理こじ開けて観た感があり、感性を研ぎ澄まさなければちょっと何言ってるかわからない類の何かを取り入れようとすると最近なかなか開かないし、これはこの年代だったな、てのはたくさんある。若かったとしてもチンプンカンプンだったかもしれない。けれどそんなものは後からしかわかないことなので、やっぱりいつ観たっていいし、そこまでして観る必要もない。あと映画館と家を「派」で分ける必要もない。こちらは派を付けれるほど強い意志を持ってない。時間とお金があれば比較的多く映画館に行くかもしれない、しかし家で観る醍醐味も同じように多くあるので家で観る。好きにお尻掻いたり歯につまったポップコーンをシーシー言わせながらようじで取ったり。そこじゃないけど。それだと醍醐味じゃないけど。とにかく家が好きだから。家派じゃない、家が好きなだけ。TSUTAYAに長時間いるのが好きなだけ。TSUTAYAにいるとだいたい便秘も解消される。でもどんどん閉店してるので悲しいです。配信に負けないで。私はよく利用するけど、配信に疎くてお金に余裕がない人のエンタメ環境を奪っていかないで。だいたいクーリンチェ少年殺人事件とか私には家じゃないと無理(それが「正し」かったのだろうけど私は間違えて恵比寿の写真美術館で観た。ものすごくお尻が痛かった。)。すべてにおいてどっちも良さがあるそれでいい。それに出会えただけで満足。

 

最近あまりにも物事を厭世的に考えてしまう。何事も中間に置こうとする。本当は黒は黒で、白は白でいたい。私は赤や青さえもグレーにしてしまう。それはそれですごいのだけど。黒を黒にするパワーがない。正義?それは根拠のないもの。