純潔にさようなら

何が本当かわからないんだけど、そして何にも巻き込まれてないんだけど、ここに暮らして、この土地の環境だけでなく、年齢や出産や子育てに関わる環境に約7年向き合って、女の人の誰もが心の根底に必ず持っている嫉妬心とか、見栄とか欲とか、そういうものばかりが目に付くようになって、気づいたら、何がなんだかわからない。
来たばかりの頃、わたしは妊娠していたけど心はまだまだ乙女で、プラスにもマイナスにもなるその種のものをほとんどの女性が持っていることをまったく知らなかった。そんなものを持っているのは一部の人であって、自分には関係ないし、関わることもないだろうと思っていた。しかしそれまで生きてきて自分なりにいろいろ経験したつもりだったけど、結局わたしは人に恵まれて生きてきたんだな、と。それまでわりと可愛がられてほわほわ生きてきた自分にとっては、その女性のなんとか、真っ黒なやつ、いや灰色っていうか、真っピンクの灰というか、その種のやつね、それを見てしまうようになったことは、つまりわたしは、純潔でなくなったんです。おばちゃんという生き物になる時分は徐々に近づくのではなく、その真っピンクの灰を見ようとするようになってしまったかどうかにあるんです。いや実際のことは知らん。見えるのではなく、自然と見ようとしているのです。でももしそのことを知らなかったら、笑っちゃうほどあり得ないからそれはそれで良い経験になったと思う。目に付くようになった、イコールその種の知を身につけたということならたとえ今後その癖が付いてしまったとしても知を得た代償くらいにしか思わない。
人の本当など、ないよね。なんていうか、あの人はそんなことする人じゃないなんて言葉はいい加減で愚かな言葉だよ。自分の良い引き出しを開けてくれる人と接していたら、良い自分がたくさん出るけど、逆になぜか自分が他人の悪の引き出しばかりを開けてしまうときもある。良い人だと評判の人の悪の引き出しを開けることだって、誰にでもある。その一面もまた本当であって。どちらが正しいたどかそんなものはないのである。側面なのである。
でも、もういい。
もうわかったよ。子供産んどいて何をと思われるかもしれないが、もう純潔じゃない。これってつまり純潔じゃないってことなんだナって書いてて気づいたんだよ。
わたしは次に進みたい。何にも知らんふりして軽妙に日記を書くのも、的を得たような日記を書くのも、レポートのような日記を書くのも、もういい。わしゃ今のわしの思うことを綴りたいよ。本当は血液型の話が大好きだよ。
そゆうわけであけましておめでとうございます。本当はbillsで晩メシ食ってウマー!てことを書いてた。