朝、またこれかと思う。

朝、またこれかと思う。ここ三年ずっと、同じフィルター、同じ空気、同じ砂埃の夢。ストーリーや背景、登場人物はいつも違うけど、そこにはいつも草のような緑がたくさん生えていて、今にも崩壊しそうな廃墟が周りを囲んでいて、それはあたかも誰かの頭の中で再生されているような稚拙な夢の世界なのに、それは腹が立つほど、とても一向に、いかにも趣だらけなのである。切なくて甘くて悲しくてつらくて、時には心臓なのか脳みそなのかがちょっとずつナイフでさ、こう、四角く、いや、六面体というのか、サイコロの形に切り取られて、これぞ空虚と言うのじゃん?と、酔っ払ったようにして軽く言わんと雪崩れてしまいそうなほど、空虚な気持ちになるのだった。夢の世界に潰されないよううどんすすりながら今日を生きなくては。
今日は午前は幼稚園に願書を出しに行って、おかしいな、自分に忘れ物がないなんて、と思っていたら案の定願書に写真貼るの忘れていた。受理されたのでよかった。おととし上の子のときは上履きを忘れてわたしたちだけ靴下親子だった。こんな親でスマン。
午後からたこパをした。