ニイタカヤマノボレ1208

ひさしぶりにパソコンからログインしたらなんか写真がおかしいですね。
タンブラーに移動しようかな。

それで、夏休みに実家に帰省している間、長崎に旅行に行ってきた。
佐世保の針尾という地区にある、「ニイタカヤマノボレ」が発信された電波塔。ここからこの暗号が発信されたのをきっかけに日本軍が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まったらしい。が、実際はそのような記録はどこにも残ってないらしい。その真偽はいいとして、本当に想像を絶するでかさなんです。

長かろうが!!
これが大正時代に造られたというから驚きです。

136mもあるんだって!

上手く写せないよー。
何を隠そうこれ含めて全部で3塔もあるんですよ。デカすぎて写真に収まらなかったので、きちんと3塔収まっているリンク先の方の写真をご覧ください…。
針尾の無線塔がやばすぎる - デイリーポータルZ:@nifty
ねえ、すごいでしょう。本当に悪夢ぽいんだよね。

ちなみにここから見えた景色はなんだか額に入ったようで綺麗。

このむこうあたりにハウステンボスがあるんだよー。
でも本当はねー、コラソンホテルっていう良いホテルに泊まったんだよー。
なんでかわからんけど最近ローラみたいな口調になるよー。

このきのこみたいなのもねー、何なのかわかんないけど重要文化財だよー。


中には入れんやろうね〜て言ってたら簡単に入れてもらえた。

入り口


わたしは建築物の詳しくはようわからんが、明かり取りの窓が対照的に配置されていて、非常に美しいと思いました。これが大正時代に造られたっていうから驚きますよね。

亀裂や破損、剥げなどほぼないです。川の砂を何度も洗って濾して固めたものなのでとても頑丈であと200年は大丈夫なんだそう。

何度も同じこと言うけど、これが大正時代に造られたって言うから驚きですよね。

電信室。蔦が絡まっていい感じ。




今もここの隣には海上自衛隊の信号送信室があります。

最初、まったくここにたどり着けなくてみかん畑の中を車でウロウロしていたら、軽トラックに遭遇したので、ここぞとばかりに軽トラのおじいさんに「ここから電波塔へ行けますか」と聞いたところ「行けますよ。車の後を付いて来てください」と電波塔まで連れてってくれた。おじいさんが教えてくれた道は最徐行しても木の枝や葉っぱで多少傷の付いたりするほど幅の狭い道で、これ以上進めないところで車を止めてそれから歩いて進んだ道はへびの道でしかなかったけど、長崎はいつ来ても人が親切でやさしいので、長崎の土地も大好きだし、人も好きです。
その後、来た道と真逆のほうに舗装された道を発見したので降りていってみると、ここの敷地一体が扉に鍵の付いたフェンスできっちり囲まれており、なんとガイドの方々までいらっしゃった。「どうやって来られたとですか?!」ととても驚かれていたので、わたしは怪しい者ではないことをアピールしようと気が動転して、お金払います!!と言ったら「お金は要りませんよ」と笑ってもらえたのでよかった。正規ルートがあったのね〜。

お父さんと一緒に草木を掻き分けここから来た。

あれ?よく見るとなんか舗装されとうよお父さん。

正門があったよお父さん。

とても怪しい3世代だったと思う。見学から戻ってきたら子供たちは地元の子と遊んでいた。子供は仲良くなるのが早いねえ。
ガイドのおじいさん曰く、国の重要文化財に指定されたのでここら一帯が綺麗に舗装されるらしいけど、ここに残る自然も歴史の一部だからあんまり変えないでほしいとおっしゃってた。わたしもそう思うよ。

帰り道で日露戦争の慰霊碑とキウイ畑を発見したのでまた写真取って帰る。


キウイ畑って見たことありますか?ないやろ?

佐世保は歴史と工業と米軍とジャパネットがあるとても素敵で魅力いっぱいの土地です。あと大野城より超都会ですねって言ったら鼻で笑われたので佐世保をナメるなよ。