ぬか喜んだ話

おーい、また娘の学校の役員をやることになったぞー。前の学校で一度役員やっとるぞー。しかしなぜかくじ引きでは自分の名前が漏れており、漏れたままくじ引きが行われ、うわあなんだこれこんなにツイてていいのか日頃からリア充とは真逆の暮らしをしてきたわたしへの天からのプレゼントかなどと思いながらもそのまま役員が決まり、拍手と共に役員紹介が終わり、無事に保護者会も終え、ウへ☆と思って帰宅して夜はビールを飲んでたら学校から「すみません名前漏れてました」と電話がきて、結局ワイがやる事に。

「ぬか喜び」てこういうことですよ。保護者会が終わってPTAから電話がくるまで酒飲んで小躍りしてたあの何時間かの自分、あれ、あの人が「ぬか喜び」ですよ。こんなに典型的な「ぬか喜び」をしたことがないのでもう可笑しい。

今日決まった方は…と聞いたら、そのご家庭と連絡が取れずお子さんも学校に来てなくて、そもそも6年生にもなるともう役員をやってない家庭がほぼうちくらいしかいないと言われ、事情が違い過ぎてやるしかなかった。いやまあわかりますよ、うちでよければ役員やりますよ、お子さんが学校に行けない事情もいろいろあるんでしょう、でももう全然関係ないけどさ、義務教育の過程にいる子供の家庭と連絡取れんってどういうことなん。それでどんな事情かは知らんけどそんな連絡さえ取れない家庭をくじ引きの対象にするなよ、どう転んだって二度手間でしょうもん…いややりますよ、役員はやりますよ、そもそも漏れてるのがわかってたならその時に名乗り出ろよって思ったでしょうね…あんたこそ二度手間かけさせてるだろって…いややりますから。やりますからさ。 

 

ところで冬はアニメをみてたってことを書きたいんだよ。声優にドハマりして人に見下された話を。

昔から人と一緒に映画を観るのがあまり得意じゃなくて、遊びやデートの一環としての映画鑑賞ならあえてどうでもいい映画を選んで割り切って出来てたんだけど、一人で映画館に行くのも、隣人に気を取られたらどうしようという思いがあり、部屋を真っ暗にして一人でふけって観るのが自分の中で至高の鑑賞スタイルだった。最近映画館に行ったのは半年以上前ですけど、その時はたしかトレインスポッティングの2を観たんですけど、隣にいた若い感じの男性がなんか常に顔のあたりを触っていて、ようく見たわけじゃないけど、なんか常に掻いてるんです、顔を。掻いてるというか、何かに集中したときの癖なのだろうが顔をずっとポリポリやってて、そしてその老廃物をこちらに向かって落とすという所作を繰り返していて、もうそれが気になって仕方なくて、映画の内容はもちろん入ってきたけど、映画って内容うんぬんのまえに感覚的にズドンとシンクロする瞬間があってそれが好きで映画観てるのに、しかもトレインスポッティングを高校生の時分に映画館で観たわたしとしてはユアンマクレガーと同じ分年を取ってきてブリティッシュ音楽や仲間への裏切りとか漠然としたドラッグへの憧れなんかを大人になるにつれて分をわきまえいった自分の、その禊のためのわざわざの映画館での映画鑑賞だったわけです。そんな、1も2もない若造が顔の老廃物を削ぎ落とす余裕を持ち臨むようなそんなモチベーションでこっちは観ていないわけです。でも大人なのでそういう人が隣に来ることがある可能性だって知ってるし自分が気にしすぎる性格だってことも知ってる。映画館に行かなきゃよかったかと問えば、そうでもない。それで何が書きたかったかというと、映画を観るようになったのは確実に父の影響だったからだけど、父は戦争映画しか観なかったけど、一緒に家のテレビの地上波でやる映画をなんとなく父と観てた時だけは、何も気にせずに集中して観れていたし、父の動作なんか気にならなかったし、見終えたあとはその映画が何倍にも増して良い映画だったと思えてた気がする。

だからわたしも子供たちにそういうのを残したい。子供はもしかしたらお母さん像にそんなものは求めないのかもしれないけど、自分が得意なのは料理や掃除や裁縫やバタバタ働くことでもなく、そういうのなんだろうなと思うので。自分の思うところで適当に吸収しろよ。

明るい悪魔

年の瀬です。

日常空間に、暗い天使と明るい悪魔がいて、どちらか選べって言われたら天使のほうが多いかもしれないけど、暗い人間と明るい悪魔だったら、やっぱりみんな明るい悪魔を選ぶと思う。だって明るさは最強の武器で、つきぬけた思想は人に勇気を与える。人間も虫もみんな明るい場所が好き。昔から決まってる。

上海蟹食べたい

録画した夏フェスの番組を見てる。

昔流行ったワルそうな風貌のダブだかレゲエだかのバンドが平和というワードを重ね重ね用いて世界平和を祈る歌を歌っている。わたしは、何を今さら!と思う。

「何を今さら!何をそれ相応の年にそれ相応の愛や平和に目覚めて!昔お前が傷付けた人たちは!歌で平和を祈る事ができるなら、歌で謝れるやろ!歌で後悔を表現できるやろ。そうじゃないならキャラ通りにワルそうに韻を踏んどけよ。韻を踏まなくなったら急に世界平和を祈るな。ド直球に心に訴える系にシフトすんな。いやどんなアーティストでも平和を祈るのは自由やし勝手にやればいいけど、おまえがワルかった時代におまえに傷付けられた人たちはその時おまえに平和を求めてましたよ!世界平和を祈る前にするべきことがあるやろ!」

そのバンドのこと何も知らんし何もされてないけど勝手に思い込んで勝手に腹を立てる。

そんで峯田のなんて言ってんのか不明な歌と、くるりと声かわいい人の歌を聴いて、落ち着く。

 

好みの問題ね。

冷凍都市は木と土の香りがした

夏に東京に越して来た。
立川市というところに住んでいる。
東京も都心がどうとかどこからが田舎だとかそういうローカルなヒエラルキーネタをよく耳にするけど、わたしにとっては東京なのに家の前には広大な畑が広がっていて、東京なのになんだか古代からあるようなバカ高い木(あれはケヤキかと思います)が点在してそびえ立っていて、不恰好ですがよければお持ちくださいと農家の方が家の前に置かれた野菜をいただいたり、東京なのに!東京なのに、東京だからか、やはりおもしろいなと思う。別に都心に住みたいとは思わない、だからって田舎暮らしがいいとも思わない、ただ家のすぐ目の前に大きな木とたくさんの土があるのは、自分にとって大変に心地の良い日常です。今まで自分が暮らしてきた中で今が一番、なんというか、ほどよいサイズのシンプルな白いTシャツを着せられたようなそんな感じ。
岐阜も好きだったけどね。トーストにジャムもマーガリンもどちらものっける文化とかね。あれ美味いよね。

でもいつかは本当の家を探さな。

ところで明日は次女の社会科見学でお弁当を作る必要があるのですが、そこ30分早く起きればいいだけのことなのに早起きしなければ!というプレッシャーでぜんぜん寝れません。眠剤飲んでも寝れない。だからもう今からお弁当作ろうと思う。
おやすみ世界。

引っ越し

また、転勤によりお引っ越し。ずっと家が決まらずモヤモヤしていたが、きょうやっと決まったと連絡があり、なんだか荷が降りた気持ちになる。ホッとして、割とやりたくない仕事もどうでもよくこなす。

今からが大変なのに。

オールツモローズパーティーズ

何日か前の夕飯時、小2の娘が今度の授業参観で自分の生い立ちについて発表せないかんということで、自分の名前の由来についてインタビューしてきた。

すでにほろ酔っていたわたしは「〜〜〜です。あと、母が好きな昔のアメリカのバンド名でもあります。」とありのままを語った。娘は聴き取った内容をそのまま素直にインタビュー用紙に書き取っていた。

酔いが覚めるとハッとなるわたしなので、後日娘に「あのアメリカのバンドのくだりやけどさ、ちょっと恥ずいけん模造紙に書くときは削除しとって」と削除依頼をかけたところ「うん、恥ずかしかったからね、そこはもう書かなかったよ。大丈夫だよ。」

ということであった。


泣きそうなほど賢く育ってる娘。