昔から人と一緒に映画を観るのがあまり得意じゃなくて、遊びやデートの一環としての映画鑑賞ならあえてどうでもいい映画を選んで割り切って出来てたんだけど、一人で映画館に行くのも、隣人に気を取られたらどうしようという思いがあり、部屋を真っ暗にして一人でふけって観るのが自分の中で至高の鑑賞スタイルだった。最近映画館に行ったのは半年以上前ですけど、その時はたしかトレインスポッティングの2を観たんですけど、隣にいた若い感じの男性がなんか常に顔のあたりを触っていて、ようく見たわけじゃないけど、なんか常に掻いてるんです、顔を。掻いてるというか、何かに集中したときの癖なのだろうが顔をずっとポリポリやってて、そしてその老廃物をこちらに向かって落とすという所作を繰り返していて、もうそれが気になって仕方なくて、映画の内容はもちろん入ってきたけど、映画って内容うんぬんのまえに感覚的にズドンとシンクロする瞬間があってそれが好きで映画観てるのに、しかもトレインスポッティングを高校生の時分に映画館で観たわたしとしてはユアンマクレガーと同じ分年を取ってきてブリティッシュ音楽や仲間への裏切りとか漠然としたドラッグへの憧れなんかを大人になるにつれて分をわきまえいった自分の、その禊のためのわざわざの映画館での映画鑑賞だったわけです。そんな、1も2もない若造が顔の老廃物を削ぎ落とす余裕を持ち臨むようなそんなモチベーションでこっちは観ていないわけです。でも大人なのでそういう人が隣に来ることがある可能性だって知ってるし自分が気にしすぎる性格だってことも知ってる。映画館に行かなきゃよかったかと問えば、そうでもない。それで何が書きたかったかというと、映画を観るようになったのは確実に父の影響だったからだけど、父は戦争映画しか観なかったけど、一緒に家のテレビの地上波でやる映画をなんとなく父と観てた時だけは、何も気にせずに集中して観れていたし、父の動作なんか気にならなかったし、見終えたあとはその映画が何倍にも増して良い映画だったと思えてた気がする。

だからわたしも子供たちにそういうのを残したい。子供はもしかしたらお母さん像にそんなものは求めないのかもしれないけど、自分が得意なのは料理や掃除や裁縫やバタバタ働くことでもなく、そういうのなんだろうなと思うので。自分の思うところで適当に吸収しろよ。