缶チューハイに浮かぶ最中に

あまりに男っ気がない生活なのでダンナから電話がかかってきて声を聞くと「ワッ、男の声だ!」って思います。そして何か娘たちの様子を探られ娘に代わってと言われると、年の300日くらいは子育てしてるのはわたしなんです!と思うと金取っていいんじゃないかと思えてきて、半分冗談半分本気で一人当たり500円の振込みが確認できたらこちらから連絡すると言ったら相当イラッとした様子だった。


たまたま何かでたどり着いた1993年生まれくらい?の女の子のブログを見て思ったけど、たとえば、わたしはバーキンゲンズブールトリュフォーゴダールウォーホールもだいたい好きだって言ってたけど、そういうのってその時代をタイムリーに生きた人から見たら「ああね」って感じだったんだろうなって。むしろなんでそれもそれもごちゃ混ぜ?くらい。親とそういう話すると中島みゆきはいい、吉田拓郎は「ああね」らしい。カトリーヌドヌーブはいい、ツイッギーは「ああね」らしい。
わたしの他の同じ世代の同じものが好きな人のことは知らない、けど、自分はたぶんその時代の持つ独特な雰囲気とクリエイティブな何かが好き、ていうだけだったのかもなと。今さら何を青タンなことをと思うけど、それに気づいたからと言って何が大丈夫で何が間違いだったのか今だってわからないし、思いがけないところから広がる分野もたくさんありますしね(ゴダールはオシャレおフランス女子がこぞって好きな代名詞としてあげてて、反骨精神からそんなに見てないので実はそう知らないんですけど)。
なんていうのか32歳になったら、そうそう懐に入らんですよ、いや他の人のことは知らんけど、わたしは子供もいるから極力リスクや負担を避けようとするし、そういうのはもう面倒だし。だから、なんていうのか18歳くらいに懐に入れるものって大事だなって。だから、なんていうのか、大人の意見ばかり聞いて大人ぶるのってとても愚かなことで、こんなことして大人になって見返したら恥ずかしいよと言われたって、そんな大人は本当は大人じゃなくてただ君の若さや熱に嫉妬しているだけだから、恥じることなく18歳を突っ走ることはとても大事だと、なんでも好きだと言い、なんでも嫌いだと言うことが大事だと、とてもそう思う。